Part 1 ニョニャ料理とは、ずばり究極ぞろいである。
※ ASEANヘリテージトレイル ウェビナー「カラフルなプラナカン文化」で講演した内容をまとめました。講演動画は下記YouTubeよりどうぞ(30分程度)。下記のテキストは、講演の内容を加筆してまとめたものです。
■ニョニャ料理がうまれた経緯
15~16世紀、中国人男性(南部、とくに福建省出身)が商機をもとめてマレー半島に移り住み、地元の女性と結婚して生まれた人々のことを「プラナカン *」とよびます。この時代、中国は女性の海外渡航を禁止していたため、男性が単身で渡ってきたのが、プラナカン誕生のはじまりです。
プラナカンの男性を「ババ **」、女性を「ニョニャ」とよび、彼らの料理はニョニャ料理といわれます。
19世紀、ニョニャ料理は、マラッカ、ペナン、シンガポールで発展を遂げます。この3つのエリアはイギリスの海峡植民地であり、プラナカンの多くはイギリスの庇護のもとでビジネスを発展させたため、料理もこの地で育まれたのです。
■ニョニャ料理は、究極の多国籍料理である
ニョニャ料理は、マレー料理と中国料理(おもに福建料理)がミックスされ、さらには、タイ、インドネシア、インド、そしてヨーロッパの影響も受けた究極の多国籍料理といわれます。
まず、地元の女性の食文化であるマレー料理。そして、中国人男性が持ちこんだ中国料理。タイ、インドネシアというのは地理的な関係で、ニョニャ料理が発展したペナンはタイ、マラッカはインドネシアの影響を受けた地元の料理が多くありました。また、マレー半島に古くから訪れていたインド商人が持ちこんだインド料理は、スパイスを使ったマレー料理の原点ともいえます。
さらに、富裕層であったプランナカンたちは、宗主国のイギリス、その前にマラッカを統治したポルトガル、オランダなどヨーロッパの食文化も取り入れ、ニョニャ料理をモダンに発展させたのです。
■現在の中国系マレーシア人の料理との違い
さて、マレーシアには、中国移民の末裔であるプラナカンとは別に、中国系マレーシア人とよばれる人々がいます。彼らも中国移民の末裔です。
プラナカンとの違いは、祖先が渡ってきた時期。先に書いたようにプラナカンは16世紀ごろ、中国系マレーシア人は19~20世紀に渡ってきた人のことを指し、プラナカンのほうがずっと古いのです。現在プランナカンは5世代、中国系マレーシア人は3世代ぐらい。
そのため、ニョニャ料理は地元のマレー料理にそっくりなものが多数あり(つまり、ローカル化されている)、それに比べて、中国系マレーシア人の料理は、祖先がもちこんだ中国料理に近いものになっています。
補足すると、複数の民族がともに暮らすマレーシアには、マレー料理、中国系料理、インド系料理、そしてニョニャ料理の4つのジャンルがある、といわれます。マレー料理とニョニャ料理、ニョニャ料理と中国系料理の関係性は上記のとおり。つまり、この4つのジャンルは、明確にわかれて存在しているのではなく、共通する料理があったり、民族の垣根を超えて好まれていたりします。互いに影響を与え、混じり合い、時を経るごとに変化しているのです。
* プラナカンとは、この土地で生まれた子供、という意味をもつマレー語。per(接頭語)-anak(子ども)-an(接尾語)
** ババはSirの意味といわれる。ペルシャ語が語源であり、ババ、ニョニャともに、おそらくポルトガル語由来。
■ニョニャ料理は、究極の家庭料理である
プラナカンの多くはビジネスで成功した富裕層の人々。そのため、女性は12才になると外出を禁止され、花嫁修業につとめた時代がありました。代々その家に伝わる料理を学ぶのも花嫁修行のひとつ。庭のハーブを摘みとり、スパイスを天日で乾燥させる。そのような作業のひとつひとつを省略することなく、職人のように正確な技で料理を完成させることが大事だったのでは、と想像します。
ニョニャのルーツをもつマレーシア人、タリナさん。先日、彼女に「ニョニャ・ラクサ」を習ったところ、家庭料理とは思えない凝ったものでした。
まず、スパイスを石うすでつぶす。それを油でじっくり炒めてペーストにする。次に、海老の殻を煎り、そこに水を加え、ことこと煮てスープを作る。それを先ほどのペーストと合わせる。さらに、つけタレのサンバルを作り、エビやゆで卵などの具をゆでる。
といった具合で、作り上げるまでに、なんと3~4時間かかるのです。凝った料理を工程どおりきっちり仕上げる。それが花嫁修業というものだったのでしょう。
また、よりおいしく、より魅惑的に、とプラナカンが工夫を重ねた料理なので、食材費や調理時間などのコストは度外視です。そのため調理に時間がかかり、多様な食材を使い、ときに毒出しが必要な木の実「ブアクルア」のようなレアな食材も活用します。
もうひとつ、プラナカンにはティータイムの文化がありました。毎日、手作りのお菓子を持ち寄ってティータイムを楽しんだそうです。この習慣から、ニョニャのお菓子(ニョニャ・クエとよぶ)は驚くほど多彩に発展し、見た目が美しいものが多いのです。
■ニョニャ料理の究極のバラエティ
とにかく種類が豊富です。前菜、あえもの、煮込み、カレー、麺、お菓子(クエ)まで、さまざまな料理があります。
地域によって、味の特徴が異なるのもポイントです。
たとえば、ペナンのニョニャ料理は、タイの影響で酸味やハーブを効かせたさっぱりしたものが多くあります。アッサム・クピンで酸味を加えた魚のラクサ「ペナンラクサ」は、その代表格。現在はニョニャ料理というより、ペナンを代表する屋台料理として人気です。
一方、マラッカのニョニャ料理は、インドネシアの影響でハーブやスパイスを多用。じっくり煮込んで濃厚な味に仕上げることが多く、ココナッツミルクをよく使うのも特徴です。
食材に注目してみましょう。
ニョニャ料理でよく使われるのは、マレー半島で自生しているハーブやココナッツミルク。中国食材である湯葉、筍、豆腐、干し椎茸に、醤油や豆鼓など発酵調味料も使います。中国料理のエッセンスが効いているので日本人にはなじみやすく、そこに、マレー半島のトロピカルな異国情緒のテイストが加わっているため、多くの人を魅了するのです。
つまり、ニョニャ料理とは、究極の多国籍料理であり、究極の家庭料理であり、そして究極の多彩なメニューが特徴の料理です。
■香り、クリーミー、コク、さわやか、辛い、という5つの特徴
味についても、まとめてみましょう。ニョニャ料理の味には、5つの特徴があります。それは、香り、クリーミーさ、コク、さわやか、辛さ、です。
香りは、ハーブと「ブラチャン」によるもの。小海老を塩漬けにした発酵調味料ブラチャンはニョニャ料理に欠かせないもので、濃厚な発酵の香りが食欲をそそります。
クリーミーさは、ココナッツミルクによるもの。カレー、お菓子にココナッツミルクは欠かせないもので、まろやかでマイルドな味に仕上げます。
コクは、スパイスや発酵調味料を多用することでうまれます。また、時間をかけて煮込んだり多めの油で炒めたりして、コク深いが好まれます。
さわやか、なのは、南国のマレー半島に適した味つけです。甘酸っぱいマメ科のタマリンドや柑橘類カラマンシーを加え、とくにあと味さっぱりなのが特徴です。
辛いのは、サンバルによるもの。ニョニャ料理の多くには、辛味ペーストのサンバルをつけダレにします。サンバルは、和食の醤油のような存在です。たぶん想像するに、辛い料理が好きな地元の女性と、辛い料理が苦手な中国人男性の折衷案として、料理そのものは辛くせず、サンバルが別だしになったのでは、と。辛いのが好きな人は、サンバルを加えて味を調整することができます。
まとめると、ニョニャ料理は香り豊かで、クリーミーさ、コク、さわやか、辛いといった様々な味がリッチに広がる料理といえるでしょう。
■おまけ。ニョニャ料理にはブルーの印がある
伝統的ではないようですが、現在のニョニャ料理には(とくにマラッカ)、バタフライピーの花びらを煮出したブルーの汁で印をつけることがあります。
ブルーの汁は、香りも味もなく、料理の味にはまったく影響がありません。なぜ色をつけるかというと「これはニョニャ料理ですよ」という印のようです。ニョニャ料理は、プラナカンというマレーシアの全人口からみると非常に少ない数のコミュニティーの人が、歴史のなかで工夫を重ねて洗練し、発展を遂げた料理。それは、多くのマレーシア人にとっても魅惑の味で、ニョニャ料理という印は購買欲をかきたてるようです。
また、青くするのはご飯が基本で、スリムカのもち米部分、ナシレマッのご飯、ニョニャ粽に青い印があることが多いです。オンデオンデといったもち米粉をつかったお菓子が青く染まっているのも見たことがあります。
料理に青印、最初はビックリしましたが、最近では、青色をみるとおいしそうに感じるようになりました。この変化、ニョニャ料理、あるあるです。
こちらの写真、よく見るとご飯がマーブル状にブルーです。これがニョニャ料理の印。