古川音 note 連載記事より加筆修正して転載しています。
「私は月の人」
“旅するパクチー人”として活動するうっしぃちゃん。パクチーに惚れ込み、現れたときの装いは、緑のワンピースに緑の石のネックレス。麺にトッピングされている緑のパクチーを嬉々として写真におさめていた。そして、おしゃべりの途中、ぽそっとこう言った。
「子どものころから自分は月だと思っていて。だからモスクが好きなのよ」
え、そうなん…? 驚いた。わたしのなかで月はこんなイメージだ。夜を伝える月。暗闇を照らす月。太陽の光を反射して輝く月。太陽の陽に対して、陰の象徴となる月。
うっしぃちゃんは、イベントでのトークはうまいし、キッチンで料理をする姿は堂々としているし、ずっと太陽寄りの人だと思っていたよ。まさかの月宣言だった。
2017年、うっしぃちゃんは初めてマレーシアを訪れた。そのとき、まっさきに立ち寄ったのはモスクだったという。首都クアラルンプールから電車で1時間ほど。約25000人が一度にお祈りできる大きな礼拝堂をもつ「ブルーモスク」へ。
旅の当日、SNSにはこう書き込まれている。
――世界で4番目に大きいモスクは圧巻! ココロがぶわっとあふれるような。感動というのか、この感動を何と説明したらよいのかわからないけれど。――
「宗教施設はどれも美しいよね。神社仏閣もモスクも。なぜだろう……うーん……宇宙を感じるからかな」。目の前のうっしぃちゃんは、言葉を探すように、ひと言ずつゆっくり話す。
「モスクはデザインに惹かれるの。ほら、シンボルが月と星でしょう。わたしは月だからね」と。
モスクには“おわりがない”ことを意味する幾何学模様や、イスラム教のシンボルである三日月や星がところどころに美しく描かれている。実際、ブルーモスクにも、ドームとよばれる半円状の礼拝堂のてっぺんに、月と星の飾りがある。
うっしぃちゃんの月宣言を聞きながら、ふと思った。旅とは、じぶんが好きなものを再認識する時間なんだな、と。
初めて見る景色、聞こえてくる知らない音、かいだことのない匂い、周りで飛び交う意味のわからない言葉。そのなかで、じぶんがどう反応し、どう感じるのか。
そこにいるのは、日常という殻を脱ぎ、丸裸になって世界と向き合っているじぶんだ。
マレーシアという異国の地で、うっしぃちゃんは月好きのじぶんを思い出した。幼いころのじぶんに出会えたんだね。
たぶん見えなかったと思うけど、ブルーモスクでは、ドームの上の月の飾りが、うっしぃちゃんをちゃんと見守っていたよ。
マレーシアのクアラルンプール郊外にたたずむ「マスジッド・スルタン・サラディン・アブドゥル・アジズ」。青と白のコントラストが印象的な外観で、通称ブルーモスクとよばれている。(撮影 うっしぃちゃん)
(2020年2月22日 記載)
「マレー鉄道で13時間」
海外旅行が大好きなうっしぃちゃん。16か国目でマレーシアに飛び立った。目的地は、タイの国境に近いマレー半島の田舎町「コタバル Kota Bharu」。クアラルンプールで乗り換え、さらに飛行機で1時間ほどの距離がある。
初マレーシアなのに、なぜコタバルというマイナーな町を選んだかというと、ひとつは格安航空会社の飛行機チケットがあったから。そしてもうひとつは、なんと、勘違い。
うっしぃ「音ちゃん、この前、コタバルに行ったよね?」
音「いや、この前行ったのは、コタキナバル Kota Kinabaluよ」
うっしぃ「コタバルはコタキナバルの略でしょう?」
音「えっ、違うよ。コタバルはマレー半島、コタキナバルはボルネオ島で、1500kmぐらい離れているよ」
うっしぃ「うっそ~!」
そんなわけで無計画で迎えた旅の出発日。ふとアイデアが浮かんだ。
――そうだ、深夜特急ごっこをしよう。クアラルンプールからコタバルまで、飛行機に乗らずに寝台列車で北上だ!――
飛行機で1時間の距離を、マレー鉄道で13時間かけて移動する。うっしぃちゃんはそう決めた。
マレー鉄道は、マレー半島南端のシンガポールからマレーシアを北上し、タイまでつなぐ列車だ。コタバルなど東海岸の町に向かう「イーストライン」と、ペナンなどの西海岸を走る「ウエストライン」の2つの線があり、クアラルンプールはウエストライン上にある。そのため、コタバルに行くには、いったん南下し、2つの線路が交わるグマス駅でイーストラインに乗り換えることになる。
マレー鉄道の旅を振り返り、うっしぃちゃんはこう話してくれた。
「グマス駅の乗り換え時間に余裕があったので、駅周辺の店で夕飯のつもりだったの。ところが、まさかの雷雨。外に出れずに待合室で3時間。外は真っ暗で私ひとり。心配してくれたのか、駅員さんが次々に話しかけてくれるんだけど、マレー語なのか言葉が通じなくて。ワカバル(コタバルの都市)行きの切符を見せて、ここ!とジェスチャーで会話したよ」
知らない町、夜の駅、ひとりで3時間。想像するとかなり心細い状況だけど、うっしぃちゃんはとても楽しそうに話す。
そして深夜23:56。ディーゼルの寝台列車はうっしぃちゃんを乗せ、静かに動き出した。
旅の当日、SNSにはこう書き込まれている。
――マレー鉄道が朝を走る。やわらかく差し込む太陽で目覚めるって気持ちがいいね。相変わらずジャングルを走っている
――通じない言葉で、通りがかりの人とおしゃべりしたよ
寝て、起きて、朝がくる。窓の外に広がるのは森の緑。うとうとして、また目が覚める。それでも窓の外は変わらない緑。
車両の連結部分にはドアがない。顔を外に出して、風をめいっぱい受ける。目の前に広がるジャングルの景色を動画に撮ったり、ぼーっと眺めたり。
そうやっているうちに13時間の旅はあっという間に過ぎた、とうっしぃちゃん。そして「目的地のコタバルよりも、マレー鉄道での移動のほうが印象に残っているよ」とわたしをじっと見つめて言った。
なにか特別なことが起こったわけじゃない。テレビの旅番組のように涙を流すような出会いがあったわけでもない。でもなぜか、ずっと覚えている旅の景色、そこに流れていた時間。こういうことって、みんな経験していることだよね。
きっと、体験したことはすべて、じぶんを作る種となり、肥料となり、ときにパズルの一片のように体のなかに組み込まれるんだと思う。体験をすればするほど、人と世界は近くなり、お互いにやさしくなれるんだと思う。うっしぃちゃんの人としての豊かさは、たくさん経験をしてきたからだと感じた。
そして、思い通りにいかなくても、計画どおりにいかなくても、体験したことはかならず、あとから笑って話せるようになるよね。うっしぃちゃんの話しを聞いてそう思った。
わたしも体験型人間をめざそう。わたしという人間が世界の一部であることを実感するために。
マレー鉄道は今日も変わらず世界中の旅人を乗せて走っている。永遠に続くように錯覚させるジャングルを窓の外に映して。
マレー鉄道の車窓から。(撮影 うっしぃちゃん)牛田うっしぃさん プロフィール
(2020年2月26日 記載)
牛田うっしぃさんプロフィール
Ms Ussi Ushida
旅するパクチー人。パクチーを使ったレシピ開発や出張料理、パクチー農家の応援などを手がける。夢は、パクチーで世界中の人々をつなぐこと。※パクチーとはセリ科の香草で独特の香りが「こりゃたまらーん!」with 笑顔か、withしかめ面になるか。人によって評価がハッキリ分かれる味。よく食べられているタイでパクチーとよび、英語はコリアンダー、中国語は香菜(シャンツァイ)になる。
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