オランマカン(食べる人)

People 橘雅彦さん 元JADプログラム教員

橘さんは、2001~2009年、マハティール元首相が提唱した「ルックイースト政策」の一環である「マレーシアJADプログラム(日本語名:日本マレーシア高等教育大学連合プログラム)」でマレーシアに派遣。日本留学を目指すマレーシア人学生に、日本の大学の専門課程の基礎を教える先生として活躍されました。いつもマレーシアごはんの会のイベントに来てくださる橘さんは、「橘先生!お久しぶりです!」と参加のマレーシア人によく声をかけられています。今回は、マレーシアとの関わりや、今でもマレーシアを好きでいらっしゃる理由をじっくりとインタビュー。奥さまのまゆみさんも登場していただきました。(2013年1月29日)


出会ったのは、日本とマレーシアの懸け橋を目指す学生たち

音:マレーシアでの仕事について教えて下さい。

橘さん: 2001~2009年、マレーシアで教師をやっていました。2001~2004年の間は、日本への渡航前に日本語と専門課程の基礎を2年間学び、そのあと日本で、専門課程を3年間学ぶというプログラムになっていて、私はマレーシアでの2年間をサポート。情報処理のクラスを日本語で教えていました。2005年からはJADプログラムの事業形態がより進化し、マレーシアで3年、日本で2年のプログラムに。だいたい高校3年生程度の化学をマレーシアで担当しました。

音: マレーシア人の学生さんの数はどれぐらいでしたか?

橘さん: 学生の数は一学年に70~80人ほど。国の代表として留学する彼らは志が高く、勉学に対して真剣な学生ばかりでした。日本語も覚えなければいけませんし、全寮制で勉学に励むんです。みんな日本とマレーシアの懸け橋になりたいと願っていましたね。マレーシアごはんの会で再会したタジュルさんは2001年の学生、ジョハリさんとサイドさんは2005年の学生です。

音: このプロジェクトに関わるようになったきっかけは?

橘さん: 当時勤めていた大学の学部長が、マレーシアJADプログラムを主催している方の友人で、「情報処理の先生を探しているので行ってみないか?」と。それまでマレーシアには行ったことはなく、海外とも縁のない生活を送っていましたから、正直びっくり。それに実は私、この話をいただく1か月前に結婚したばかりで、新居を購入して間もなかったんです。突然の話で妻も最初は戸惑っていましたが、JADの関係者から説明を聞き、二人で「よし、行こう!」と決意。私自身、研究よりも教育志向だったので、海外の学生に教えることに興味があったのです。

当時通っていた店は、スチームボートの「好好(ホーホー)」

音: マレーシアでの生活はどうでしたか?

橘さん: 住んでいたのはスリペタリン地区のコンドミニアム。先生用のスクールバスで登校していました。1日2~3便あり、朝一に授業があるときは早朝6時のバスに乗って、バンギ地区の学校に向かいます。週末は屋台でご飯を食べたり、ジャズを聴きに行ったりしていました。食べることが大好きで、妻とよく行ったのは、スチームボート(マレーシア風鍋)を提供する店「好好(ホーホー)」。具が新鮮で、チキンスープがおいしい! シメはビーフンとイーミーの2種を入れて卵でとじます。ハマっていたときは、2週に1度のペースで通っていましたね。

「阿里山(アリソン)」のプロンミー、「十八丁」のパンミーもよく行ったな~。ナシレマも大好き! 辛いモノも好きですし、マレーシアの屋台料理は最高です。

左より。店「好好」のスチームボート。スープが絶品。この店の店主は日本びいき。「アリソン」の蝦麺(プローン・ミー)

「ノーブラックタイ」でジャズを聴きに行くのが楽しみでした

cimg3634音: 音楽がお好きと聞きました。

橘さん:妻がジャズ好きで、No Black Tie、Alexis、Bangkok Jazz、NeroFicoなどのライブハウスに通っていました。気軽にライブハウスに行けるのはマレーシアならではですね。(写真は、ライブハウス NeroFicoのステージ)

橘まゆみさん(橘さんの奥さま): ボルネオ島で開催されている「Rainforest World Music Festival(レインフォレスト・ワールドミュージック・フェスティバル」には5回ほど行きました。おすすめですよ~! ケルト、ジプシー、アフリカといった土着の音楽が一度に聞ける機会はそうそうありませんから。熱帯雨林のなか、3日3晩、音楽の祭典がくり広げられるのです。

橘さん: このイベントはステージの演奏もいいけど、ワークショップがおもしろいんですよ。世界各国のミュージシャンが楽器ごとに集まってセッションをするんです。弾き方やテンポのとり方が国それぞれで違っていてとてもおもしろい。タブラのワークショップでは、あるひとりが口でリズムを取り、それをそのまま他の人がタブラで表現して盛り上がりましたね。音楽で世界がひとつにつながる。まさにそういうイメージの祭典でした。

音: 素敵な音楽の祭りなんですね!聞いているだけでワクワクします!

日本とマレーシアの音楽性の違いはリラックス度

音: わたしもなぜか、マレーシアで暮らしていたころのほうが日本よりも芸術に触れる機会が多かったような。演劇も盛んですし。日本人とマレーシア人で音楽に対する違いは、何か感じられましたか?

cimg3722まゆみさん: あくまで私のイメージですが、日本人のステージはちょっと堅苦しい感じがします。マレーシアの場合、ミュージシャンも観客ももっとリラックスして楽しんでいます。それに日本では有名な人のライブに人が集まりがちですが、マレーシア人の場合、有名無名にかかわらず、とくにボーカルの歌がうまければ盛り上がる。もちろん日本人も上手ですが、マレーシア人のようなリラックスさがないような気がします。緊張して歌っているのが分かるので、聞いているほうも緊張してしまいます。ただ、マレーシア場合、お客さんもリラックスし過ぎていて、ノーブラックタイに来ているのにおしゃべりで。おいおい、ライブハウスまで来て話さなくても!と思ったことは多々ありました(笑)。(写真 お気に入りのジョン・トーマス(左)さんとまゆみさん。九州にライブに訪れたときはわざわざ応援にかけつけた)

音: 橘さんにとっての一番のマレーシアの魅力は?

橘さん: フレンドリーな国民性。それによる居心地の良さでしょうか。でも、海外という意味も含めて、マレーシアでの生活は色々ありましたよ。時間通りに物事が進まないことに腹が立つこともありましたし。マレーシアという国は、良い悪いというよりも、私たちに夫婦にとっての原点なんです。結婚してすぐマレーシアに行きましたから、マレーシアで結婚生活をスタートさせたようなものなので。いつも一緒にいたので、よく「仲がいいですね~」と周りから言われていましたが、仲がいいというより、相手がいないと生活ができなかった(笑)。たとえば、妻は英語が苦手でしたから僕が英語担当。僕は車が運転できないので運転は妻が担当。そのかわり、僕は助手席でナビ係。という具合で、必然的にマレーシアでは常に一緒にいたわけなのです。

まゆみさん: 思い出を語りだしたら、たくさんあり過ぎてきりがないです(笑)。両親が来馬していたとき、レッカー車で車が運ばれた、なんて経験もありましたね。いちばん大変だったのは2人でデンギ熱に倒れたこと。同部屋で5日ほど入院したのですが、お互い自分のことで精一杯で、かけ合う言葉は「そっちどう?」「まぁまぁ」ぐらい(笑)。あれは辛かったです。

音: デンギ熱に一緒にかかるなんて、ほんと仲がいい!(笑)

マンダリン・オリエンタルホテルにて、橘さんと奥さまのまゆみさん。このホテルから見るツイン・タワーは圧巻とのこと。マレーシアの伝統芸能ワヤン・クリッ(影絵芝居)。言葉はわからないけど、世界観がすばらしい。愛車のサトリア。苦楽を共にしてきた云わば分身(まゆみさんの)。別れるのが辛かった

マレーシアと交流することは日本のグローバル化につながります

音: 橘さんの今のお仕事について教えて下さい。

橘さん: 現在は芝浦工業大学に勤務しています。昨年、クアラルンプールにマレーシア日本国際工科院(MJIIT)が設立され、日本式の理工系教育を取り入れた大学がスタートしたんですが、その事務局的な仕事を主に担当しています。JADプログラムはその後継プロジェクトの計画が進んでいるので、それも私の担当です。(写真 MJIIT開校式で橘さんがラジブ首相と鳩山元首相に説明をしているところ)

音: MJIITの現在の状況は?

橘さん: まだまだこれからです。いままでの1年半で日本人の先生を10人ぐらい派遣しましたが、日本の理工系の教育の特徴は、実習を重んじることで、そのためには設備が必要だけど、その購入はこれからなんです。設備を整えたら、ちゃんと使いこなせるようにしていかなくてはいけないし、メンテナンスもできるようにしないといけない。また、いまのところ派遣した先生は大学を定年になった人が大多数で、なかなか若い先生を送れていない。どうやったら若い先生にMJIITでの仕事の魅力を伝えることができるかとか、これからの課題ですね。

音: 海外で働きたい、と思う人が減ってきているようですね。

橘さん: 私自身の経験から強く思うのが、マレーシアでの生活や体験は今の日本人にとってとても価値のあるものだということ。いろんな文化に触れ、日本以外の価値に実際に触れる。その経験は、生徒を教える先生にとっても必要なものともいえます。マレーシアと交流することで、日本にグローバルな風を入れたい。マレーシアで学生を教えた経験が大学の先生の経験として評価されるようになっていってほしい。やることはまだまだたくさんあります。

音: 橘さんの経験を多くの人にシェアしていけば、行ってみたい!と思う人がかならず現れると思います。マレーシアのためというより、むしろ日本のためにも必要なプログラムだと感じました。


音の感想: いつも笑顔で、気さくな橘先生。マレーシア料理が大好きで、お酒が好きで、いつの間にかイベント中に寝ちゃったりもする素敵な方。奥さまと仲が良くて、お互いにツッコミを入れつつもいつも一緒に参加。今回のインタビューで感じたのは、マレーシアの思い出を語るふたりの目がキラキラしていたこと。思い出は、尊い。マレーシアで過ごした思い出は、ふたりをつなぐ土台になり、そして次にすすむ原動力になっています。橘先生は、今後ますますマレーシアと化学反応を起こしていくことと思います。

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