ニョニャ・クバヤのテーラーとして活躍するコイ・ブン・イエン(漢字名:郭文燕)さん。ペナン出身のプラナカンです。ペナンにある店「キム・ファッション」の創始者であり、マレーシア政府から人間国宝を受賞しているリム・スウィーキムさんは、イエンさんのお母さんです。プラナカンとは、15世紀ごろマレー半島に渡ってきた中国人と地元民が婚姻などで融合し、生まれた子孫のこと。プラナカンの女性のことをニョニャと呼び、彼女たちの着る正装の上着(ブラウス)のことをニョニャ・クバヤといいます。(クバヤは服の意味)。色鮮やかな柄にするために、フランス製の高級な糸を使い、手作業で行う刺繍は職人技。その美しさは目を見張るほど!手の凝った模様になると、1枚を仕上げるのに、200~300時間もかかるのです。イエンさんのおばあさんから三代受け継がれているニョニャ・クバヤの技術。また人間国宝のお母さんキムさんついて。イエンさんに色々聞いてきました。(2012年7月13日)
母は、お金を稼ぐためにクバヤの仕立てを始めた
音: お母さまのキムさんは、どんな方ですか?
イエンさん: とにかくクバヤ命の人(写真)。この前、私がペナンに帰省したときも、朝4時に母が部屋に入ってきて「イエン、このクバヤどう思う?」と聞かれてびっくり。外は真っ暗、まだ4時ですよ。母はクバヤのことばかり考えていて、睡眠時間が少なくても平気。そのかわり移動時間に寝溜めができるようで、ペナンとシンガポールの間の移動はいつもバス。移動中にずっと寝ていられるからだ、と母は言います。母は研究熱心で、生地やデザインの勉強のために、タイや香港を頻繁に訪れます。日本に来ることもありますよ(※)。
音: キムさんがクバヤの仕立てを始めたきっかけは?
イエンさん: 母が本格的に仕事を始めたころ、父の月給は約150リンギ(現在の価格で4000円)でした。その時代は、野菜が5セン(1円)、魚が10セン(2円)ぐらいの物価。祖母、子ども3人を養うには足りない、と母は考え、お金を稼ぐために仕立て屋を始めたのが1960年。母が27歳のときです。はじめはクバヤだけでなく、ジャケットに刺繍をしたり、結婚式用のガウンを作ったりもしていました。
音: キムさんのお母さんもテーラーなんですよね。
イエンさん: はい、祖母も有名なテーラーでした。クランタン州の王族や、その時代の統治者であったイギリス人に頼まれてクバヤを作っていました。母もエネルギッシュですが、祖母はさらに(笑)。昔ではたいへんめずらしい3回も結婚した人なんですよ。母は祖母からクバヤの技術を学んだのですが、教えてもらったというより、見て覚えたと言います。間違えると定規で手をバシッと叩くくらい厳しい人でした。
音: イエンさんご自身とクバヤの出会いは?
イエンさん: クバヤ漬けの毎日を送る母ですから、子どもの頃に母と遊んだ記憶はありません。ミシンの並ぶ工場でよく縫い子さん達に遊んでもらっていました。そこで遊びの延長のような感じで刺繍や仕立てを手伝うようになり、自然に技術を身につけていました。19歳から3年間、日本に留学。文化服装学院に通い、ファッションについて学びました。2000年、ガーニープラザの「キム・ファッション」オープンを機に、本格的にニョニャ・クバヤの仕事を始めました。
2011年京急百貨店でのイベント「アジアフェア」にて。イベントでは、かならず刺繍の実演をする
左より。実演に使っているのは、日本製の古い足踏みミシン。クバヤには巻きスカートのサロンを合わせる。このグリーンのクバヤはトロピカルな果物の柄。日本人に人気のニョニャ・クバヤは白と黒のモノトーンなどシックな柄だそう
左より。自由自在に動かせるように、このミシンのパーツを取って作業する。クモの巣のように糸を張り巡らせている刺繍方法がスパイダーウェブ。白い部分、線路のようにつながっているのがトレイントラックという
ニョニャ・クバヤを愛したバダウィ元首相夫人
音: アブドゥラ・バダウィ元首相夫人がお母さんの作るクバヤを絶賛。そのことが「キム・ファッション」開店につながったとか。
イエンさん: そうなんです。バダウィ夫人が気に入って下ったのが、「キム・ファッション」スタートのきっかけです。それ以前1980年代はクバヤ暗黒の時代でしたから。夫人が執筆した『ザ・ニョニャ・クバヤ』(写真)という書籍のなかに、母のクバヤがたくさん紹介されています。当時、トータルで30人ぐらいの人が取材に来ましたね。
音: さて、クバヤといえばバシュ・クバヤもありますが、ニョニャ・クバヤならではの特徴を教えて下さい。
イエンさん: ニョニャ・クバヤには美しい刺繍が施されています。そしてその刺繍には、いくつかのパターンがあります。ムーン、ハニーコーン、スパイダーウェブ、トレイントラックなど。クバヤの柄に流行はほとんどなく、むしろ伝統的なデザインのほうが喜ばれますね。たとえばランの花、ぼたんの花、鳥の柄など。ちなみに金魚のモチーフは、キム・ファッションのトレードマークです。布地は、赤、黄色、紫などビビッドな色が好まれます。結婚式に着る色は赤。ニョニャ・クバヤは高級なので、お出かけのときのお洒落着。マレーシアはパーティが頻繁にあるので、着る機会も多いのです。
金魚のデザインはキム・ファッションのトレードマーク。刺繍糸は、発色と艶を大切にしDMCというフランス製、布はスイス製のレースを使用
音: キム・ファッションならではの特徴はありますか?
イエンさん: マレーシアで唯一、足踏みのミシンによる繊細な刺繍を施したクバヤを作っています。実はインドネシアでもニョニャ・クバヤが作られているのですが、たいてい電動ミシンが使用されています。足踏みミシン、覚えていらっしゃいますか?日本でも昔に使われていた古い型のミシンです。足ぶみは技術がいるし、疲れるのですが、微妙なラインを調整することができる。そのため、生き生きとした表情のある刺繍が作れるのです。ただ、技術を習得するのが大変難しく、後継者不足という悩みがあります。
音: どこの国も伝統の技を引き継いでいくのは大変ですね…。
イエンさん: キム・ファッションのデザインは、世界で1つだけです。ここまで手作業にこだわっている仕立屋は他にありません。ですので、ファンの方からの注文が多く、ずっと先まで予約で埋まっています。最近はインドネシア人のお客さまが多いですね。「バダウィ夫人の本に載っているもの全部下さい」と言われたことも。でも現在は職人さんが3~5人しかおらず、皆さんご年配。1枚のクバヤを仕上げるのに、すくなく見積もっても200時間はかかります。以前、結婚式の参加者全員のクバヤ、というオーダーもありました。残念ながら納期に間に合わずにお断り。そのかわり、新婦のためにお色直しのクバヤを含めて5着作ったことがあります。
左より。シンガポールのプラナカンミュージアムのイベントにて披露。最新のニョニャ・クバヤ。モチーフはボタニカルガーデン。新作。中国系の人の縁起物、フェニックスとドラゴン。結婚式の装いに好まれる。販売価格は日本円で15万~26万円。さらに高級なアンティーク生地や糸にこだわる顧客も多い
ニョニャ・クバヤを後世に伝えていくという使命
音: 今後の活動とイエンさんの夢は?
イエンさん: 母と一緒に、ニョニャ・クバヤ普及のためのイベントに力を入れていきます。2006、2007年はマレーシアの伝統工芸省( Kraftangan Malaysia (under the Ministry of Handicraf))に招かれたり、シンガポールのプラナカンミュージアムでのイベントなど、1カ月に1度は海外に出向いています。アジアだけでなく、ロンドン、ベルリン、メルボルンなどでのイベントにも参加しています。日本のイベントの予定は、8月に埼玉県越谷市のイオンレイクタウン、9月に東京ビッグサイトで行われる世界旅行博でデモンストレーションを行う予定です。
また、先にも言いましたが、ニョニャ・クバヤを作れる職人が数少なくなっているので、次の世代に技術を伝えていくことを考えています。実際、マレーシアのケダ州で、マレーシア人の女性が自立できるようにクバヤの刺繍を教えています。母はナイジェリアに1カ月滞在して、ニョニャ・クバヤの技術を教えたこともあります。日本人は手先が器用なので、上手にできるかもしれませんね。これからも、この美しく、繊細な刺繍をもつニョニャ・クバヤを伝えていきたいです。
※写真は、2012年に開催さrた東急セミナーBE二子玉川校でのクバヤ講習会の様子
キム・ファッション
http://kimkebaya.hahaue.com/index.html
音の感想: ニョニャ・クバヤの美しさに気づいたのは、日本に帰ってからでした。それもイエンさんに出会ってから。神楽坂のイベントで足ぶみミシンを上手に操り、細かな刺繍を見事に仕上げていくイエンさんの姿は、堂々としていて、かっこよくて。彼女の手元のカラフルな南国モチーフがマレーシアの空気そのもので、思わず見惚れました。その姿に感動した人は私だけでなく、しばらく眺めていた間でも次々にクバヤは売れていき、なかには10万以上のクバヤも素敵な日本人マダムが購入。そんな伝統技術を持つイエンさん、素顔は明るくて、飾り気のないマレーシア人。この取材のときも「音さん、ニョニャカレー作ったよ~」と手作りのカレーをお土産にくれました。イエンさん、ありがとう! ※お母さまのキムさんは天国へと旅立たれました。ご冥福をお祈りいたします。
この記事へのコメントはありません。