チャーさん。漢字名は、謝啓鑫(シャカイシン)。マレーシア・ペラ州のイポー出身。36歳。奥さんと娘さん2人の4人家族。わたしのマレーシア料理の先生であり、イベント開催のパートナーであり、よき相談相手。いつも笑顔で、いつも芯が通っていて、どんなときでも私に元気をくれる、まるで人間パワースポット。マレーシア料理店「マレーカンポン」の店主を経て、現在は「マレーアジアンクイジーン渋谷・横浜」「マレーカンポン」の3店舗の取締役として経営に携わっています。日本在住14年。チャーさんのこれまでの道のりを聞きました。(2014年6月9日)
9歳から屋台の手伝い。5時間働いて4リンギの給料だった
音: 小さい頃から屋台を手伝っていたそうですね。
チャーさん: 祖母がお菓子の屋台をやっていたので、屋台はとても身近な存在でした。小学生のとき、ミーゴレン屋台でアルバイト。朝7~12時の5時間就労で、報酬は4リンギでした。当時、1日のお小遣いが50銭(1リンギの半分)で、ミーゴレンが1.5リンギの時代でしたから、4リンギの報酬はまぁまぁかな(笑)。
音: 学校ではどんな生徒でしたか?
チャーさん: 僕は学校が嫌いでした。授業がおもしろくなかった。先生が教科書をただ読むだけの授業はつまらなかったし、先生が生徒を下にみているような態度を時々とるのも嫌だった。学校ではほとんど寝ていましたね。
音: 高校を卒業して、シンガポールで就職。きっかけは?
チャーさん: 学校が嫌いだったので、大学に進学する気はありませんでした。高校卒業後、シンガポールで中国料理店に就職。そこで、食材の名前、メニューの英語名、英語でのサービス方法、レストランの経営など、様々なことを学びました。シンガポールに住んで、僕は成長できたと思う。レストランでの経験は今の仕事に役に立っているし、滞在した1年半、毎日、本を読むことができたのもよかった。というのもシンガポールは各駅に図書館があって、借りた本を別の図書館でも返却できてとても便利なのです。中国語の本の種類も多く、毎日1冊のペースで、本を読んでいました。
音: どんな本を読んだのですか?
チャーさん: 投資、株、経営です。
音: えっ、株??
チャーさん: はい。僕のイメージに無いですか?(笑) 僕は株や投資に興味があるんです。経営の本もよく読みました。
人生の転機、日本へ。2LDKに男5人暮らし
音: 日本に来たきっかけは?
チャーさん: 知り合いのマレーシア人が日本にいて、声をかけてくれました。ちょうどシンガポールの会社を辞めようか、と考えていたところだったので、日本に行くことを決意。クアラルンプールの日本語学校で勉強し、約1年後に日本へ。2000年の4月のことでした。
音: 日本の生活はいかがでしたか?
チャーさん: はじめは男5人で2LDKの小さなアパート暮らし。布団やテレビは粗大ゴミの日に拾っていましたね。今では粗大ゴミを拾うことはできませんが、あの頃は使えるものがたくさん捨てられていて、まるで宝の山(笑)。男5人でひとつの部屋に寝るので、川の字というか、3本川と2本川でそれぞれまっすぐ寝る。寝返りをうつと隣の人にぶつかります。僕は最後に部屋に入ったので、入り口近くの一番端っこで、微動だにせずまっすぐに寝ていました。みんなでご飯を作ったり、割り勘でお米を買ったり、ケンカもしたけど楽しい日々でした。
音: 日本で大学に通ったんですよね?
チャーさん: はい。日本はその頃、学生ビザでアルバイトができるめずらしい国でした。桜美林大学の商学部で勉強をしながら、アルバイトで生活資金を稼ぐ忙しい日々でした。
移動販売からスタート。クレープ、焼きそばも得意です
音: 日本で飲食をやる、と決意したのはいつ?
チャーさん: 大学2年の頃、マレーシア人の友人と一緒にやろう!と決めました。スタートしたのは2008年8月31日の移動販売。マレーシアの独立記念日に、僕たちも独立しました。移動販売は今もやっていて、マレーシア以外の料理も得意になりましたよ。たこやき、クレープ、焼きそば、ケバブ、たいやき、サータアンダギーなど、何でもできますので、いつでも依頼してください(笑)。
音: マレーカンポンをオープンしたのはいつ?
チャーさん: 2010年2月、八丁堀に「マレーカンポン」を開店。「屋台風のマレーシア料理」というコンセプトです。計3人の共同出資でスタートし、僕は210万円の資金を投入しました。開店したときは、正直とても不安でした。これから他の仕事ができなくなる。それは確実に収入が減る、ということです。そんなとき、日本語学校の先生が無料でお店のHPを作ってくれたり、仲間がご飯を食べに来てくれたり。応援してくれる人がいることが、本当に力になりました。
左より。マレーシアの屋台料理を中心に提供する茅場町の「マレーカンポン」。東京・渋谷に店を構える「マレーアジアンクイジーン」はマレーシア人スタッフによる本場のマレーシア料理がバラエティ豊かに味わえる
音: チャーさんにとってのマレーシア料理は?
チャーさん: マレーシア料理は、味が濃くて、香りが強くて、香ばしい。そして、甘い、辛いのメリハリが効いている。それが僕の考えるマレーシア料理です。好みじゃない人がいてもいいんです。だってそれがマレーシア料理だから。
ハラルのお店にしたことで、出会いが広がった
左より。マレーカンポンのケータリング。ハラル料理にて提供しているので、ムスリムの人が出席している会議などでも好評。マレーアジアンの開店パーティーにて。マレーシアのアブドラ前首相が来店!
音: レストランをやってよかったことは?
チャーさん: そうですね、正直、よかったとか成功だったとか、そう思うことはあまりないのですが、マレーシア政府観光局のアドバイスに従って、ハラル料理(イスラム教のルールにのっとった調理法)にしたのはよかったと思います。僕は中国系のマレーシア人なので、ハラルのことはあまり知りません。でもハラルの店をやってみたら、日本に住んでいるマレー系の人がハラルで苦労をしていることを知ったし、マレー系の習慣や文化を知るきっかけにもなりました。僕の出身地はイポーで中国系が多い街なので、マレー系の人が周りにほとんどいなかった。日本に来てお店を開かなければ、マレー系の人との接点はほとんどありませんでした。ハラルにして、色んなマレー系の人に出会えたのはうれしいです。
音: バハサ・マレーシア(マレーシア語)は日本に来てから上手になったんですよね。
チャーさん: そうなんです。最近は、お店でマレーシア語、中国語、日本語、英語といろんな言葉を使っていて、あまりにも言葉がチャンポン過ぎて、頭がこんがらがってしまう(笑)。日本語は、前の方が上手だったかも(笑)。
音: マレーシア人は多言語が話せてすごい。英語、マレーシア語、中国語が話せれば、世界中どこに行ってもビジネスができますよ。うらやましいなぁ。
チャーさん: 僕は4か国語が話せます。英語、マレーシア語、中国語、日本語。中国語は、北京語と広東語が2つがOKです。広東語はおもしろいですよ。ある事象は広東語でしか言葉にできない、ということもあります。北京語は広東語に比べるとお上品な感じかな。でも、音さん、マルチリンガルなのは、環境によるものです。マレーシアがそういう環境なだけ。日本人もそういう環境に住んだら、すぐに話せるようになるよ。多言語が話せることに優越感はないし、もし、そのことで自分が偉いと思っている人がいたら、僕はカッコ悪いと思う。
人生とは成長。どれだけ成長できるかが、僕の指標
音: これからの夢を教えて下さい。
左より。新木場公園で開催したマレーシアごはんの会イベントでは、ケータリングを担当。マレーカンポンシェフ3人でイベントを盛り上げてくれた。2013年、山下公園で開催されたアセアンフェスティバルに参加。ペナンレストランとの共同ブースで、マレーシア料理をアピール。料理教室の講師を務めるチャーさん。幼い頃の思い出話もたいへん興味深い
チャーさん: レストランとしての夢は、家賃や食材費など何にも気にすることなく、僕の好きな料理をサービスしたい。お客さまが「これが食べたい」と注文してくれて、「いいですよ」と作ってあげるのもいい。
レストラン以外でいえば、親のいない子どものケアハウスを作りたい。子どもが好きで、人助けも好きなんです。子どもが自分で考えて、成長できるような組織にしたいです。僕にも娘がいますが、子どもの世話をするのは大変です。でも僕は子どもの心を掴む自信があります。それは、大人だとか子どもだとかいう年齢ではなく、子どもの仲間になることです。仲間になって信用してもらうこと。そうすれば、子どもは心を開いてくれます。直近の夢でいうなら、奥さんとゆっくり遊びに行きたいな~。ヨーロッパとか、アジア以外の国に行きたいですね。
音: チャーさんにとって人生とは?
チャーさん: 僕の人生のテーマは“成長”かな。つまり、この人生でどれだけ成長できるか。マレーカンポンを開店し、次にマレーアジアンを開店したこの3年、僕なりに成長できたと感じています。成長とは、選択の自由が与えられるようになった、ということです。子どものころは自分で選択できないでしょう。大人になると選択できることが増えて、成長すれば、もっと大きなことが自分で決められるようになる。言葉を換えれば、自由に決断できるようになったら、成長できた、ということです。
だからといって、事業をどんどん広げていきたいとは思っていません。事業を拡大するとリスクも大きくなる。そして万が一、そのせいで家族を失ってしまったら意味がありません。リスクを冒しても何かをやりたいと思ったら、ふたつ考えます。ひとつは、結果ではなくプロセスを楽しめるかどうか?結果はやってみないことには分からないので、プロセスを楽しめるかどうかが大事です。楽しめる、と思ったら、次に、奥さんに相談します。そこで奥さんがOKしてくれなかったら、僕はやりません。自分が成長することが、家族のためになること。それが僕の人生です。
音の感想: チャーさんはネガティブな言葉をほとんど使いません。以前、宴会用の料理を忙しそうに作っていたので「大変そうですね」と声をかけたら、「いえ、楽しくがんばってます!」と応えるぐらい。そして、どんなピンチも、知恵と技術と勇気で、堂々ときりぬけていきます。チャーさんといれば安心で、どんなことでも、うまくいきそうな気がする。失敗とは、じぶんが失敗だと思うから失敗なんじゃないか、とチャーさんと仕事するようになって思い始めています。じぶんが失敗だと思わなければ、それは失敗ではなく、単に予想していたことと違う結果が出ただけなのです。これからも、チャーさんに色々教えてもらいたいです。
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