マレーシアごはんはおいしい。その理由とは
その1 食が民族の証しだから
マレーシアは、マレー系(約67%)、中国系(約25%)、インド系(7%)とおもに3つの民族が暮らしていて、宗教、季節の行事、風習などは民族ごとに違います。食もそのひとつ。普段はお互いのレストランを行き来することはあるけれど、ハレの日、たとえば結婚式や大切な行事では、かならず生まれ育った民族の料理でお祝いをします。
わたしには、彼らが食を通じて、じぶんのルーツを確認し、仲間との絆を深めているように見えました。だから、一緒に食事をしていると、彼らの文化や生き方に触れているような気持ちになった。それは、彼らの祖先が切り開き、今も歩み続けている道に、ひとときお邪魔させてもらっているような感覚です。
マレーシア人は、均一化される味を求めません。この前おいしくて、今回イマイチでも、前回の味が気に入れば、必ずまたトライします。専門店を好み、おいしければ、高級レストランでも屋台料理でも、同じように称賛します。食に流行はほとんどありません。
大切にされている食はおいしい。
そこには人の思いがあり、受け継がれている歴史が映っているからです。
その2 人の顔が見えるから
あの店、おいしかったなぁ……と思いを馳せると、味の思い出と一緒に、その店のスタッフの顔がかならず頭に浮かびます。マレーシアの「おいしい」には、いつも人がいます。
マレーシアは、人が主役の国です。レストランのスタッフは、常連客には心からの笑顔で接し、初対面のお客さんには、ちょっとぶっきらぼう。作り笑いなんていう概念は無いのかも。思い出すのは、ポークヌードルの屋台で、接客から料理、会計までひとりでこなしていたおじちゃん。ほかにも、いつもカタコトの日本語で話しかけてくれるヨントウフのおばちゃん。暗算がめっぽう早くて、インド人ってやっぱりすごい!と思わせてくれたスープ屋台の兄ちゃん。みんな元気かな。
いつもの店に行って、いつもの人がいるとホッとします。料理をいただく前に、もうそれだけで、おいしいって気分になります。
食は、人がいるからおいしいんです。それはお母ちゃんの料理みたいなもので、お母ちゃんが作ったものであれば、何でもおいしい、という境地に似ています。
人が見える食は、心が喜びます。そこには人と人のつながりがあるからです。