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Interview 元・青年海外協力隊 中島直樹さん

2014.2.25

みんなで食事風景.JPG

DSC_0195.JPG中島直樹さん。1975年よりマレーシアに住み、計16年滞在1975~1980年、青年海外協力隊員(JICA)として、マレーシアのクアラルンプールに滞在。TTTC(Technical Teachers Training College)にて、技術系の教師を目指す学生たちに電気系の学問を教えていらっしゃいました。

当初JICAに応募したときは、アフリカのマラウイを希望していた中島さんでしたが、任地になったマレーシアに見事にハマり、その後、合計16年もマレーシア在住。そんなにもマレーシアにハマった理由とは。ずばり、おいしいご飯!(上の写真は、中島さんがよく通っていたシーク寺院にて)


毎朝、学生と一緒に食堂でロティチャナイ

カレー大量調理光景.JPGシーク寺院にてカレーを大量生産。力仕事だからか、男性がカレー担当みんなでチャパティ焼き.JPGシーク寺院にて。女性はチャパティ担当。料理は無料でふるまわれた



音:JICA時代のお仕事を教えて下さい。

中島さん:電気学科の先生をやっていました。生徒は18~21歳の男性22人、女性8人のクラス。僕とあまり年齢の変わらない生徒でした。

音:英語で教えていたんですよね。

中島さん:そうです。英語で教えるのは難しかった。あのころは生徒が買える教科書は無く、テキストは手作りのガリ版刷りでした。本屋もほとんど無くて、唯一あったのが、トゥンクアブドゥルラーマン通りのインド系マレーシア人の経営する本屋。そこでアメリカの教科書を数冊購入し、それを生徒用にアレンジして授業で使っていました。

カレーショップ+人生相談.JPG屋台の前で人生相談所が営業。タロットのような占いも使い、悩み相談をしているらしい音:毎日どのようなスケジュールでしたか?

中島さん:学校に行くのは朝8時から昼2時まで。僕はロティチャナイが大・大・大好きで、この世にあんなにおいしいものはないと思ってるぐらいなので、毎日朝食は学校の食堂でロティチャナイ。テタレパナス(甘い練乳入りの紅茶)をつけてね。


「すくって捨てればノープロブレム!」by お店の人

バナナ リーフ カレー.JPGバナナリーフカレーとテタレ。もちろん手で食べる。スプーンを使うと葉っぱが破れちゃうでしょ?音:ロティチャナイ派なんですね。

中島さん:テタレも好きです。テタレといえば、40年前は、練乳を入れて、そこにさらに砂糖も加えていたんですよ。テタレをかき混ぜると、黒い小さな粒がいくつか浮かんできて、最初は紅茶の茶葉かな~と思っていたんだけど、よく見たら……蟻!!砂糖に蟻が入っていたんだね。お店の人は、「すくって捨てればノープロブレム!」と(笑)。



音:そういえば友人も、コップの縁に口紅のあとが残っていて、それをお店の人に告げたら「反対側で飲んだらいいじゃ~ん」と(笑)。

午後のティータイム.JPGバンギにて。みんなで3時のアフタヌーンティーを楽しんでいるところ中島さん:昼2時に仕事が終わるので、それから昼食。野菜が恋しくて中華系の経済飯(惣菜店)によく行っていましたね。金曜日は、地方に住んでいるJICA同期がクアラルンプールに集まってくるので、彼らと屋台で食べて、マレー系屋台でアイスカチャン(かき氷)を食べるのがお決まり。月に1回、コロシアムカフェのブラックペッパーのステーキを食べるのが最高の楽しみでした。

音:おいしそう~(笑)。



中島さん:最初は寮で暮らしていましたが、もっと現地の生活を体験してみたくて、インド系マレーシア人の家に間借りをしました。ここから、僕のインド文化への道がスタートしました。

毎週日曜日はインド映画。バトルシーンは観客も総立ち!

移動食材売り.JPGコタバルで、よく見かけるパン売りのおじさんです音:インド文化に詳しいとお聞きしました。

中島さん:いやいや(笑)。むかしはインド系の人がとくに英語が堪能だったので、コミュニケーションがスムーズにできたのも理由なのかもしれません。友人の家が、インド系の人の居住区であるブリックフィールズにあり、日曜日がおもしろかった!地元の人が道路に暗幕をはって、無料でインド映画を放映してくれるんです。シーンなんて、観客みんな総立ち! 言葉は分からないけど、映像だけもストーリーは何となく分かるのですごく楽しかった。

音:マレーシア生活で一番驚いたことは?

道端おかずショップ.JPG道端おかずショップ。こういうところの料理がとてもうまい中島さん:驚くことばかりでしたが、一番印象に残っているのは、マラッカのマレー系の家で、お祝いのときに牛一頭を目の前でつぶし、その肉をいただいたこと。朝、木につながれていた牛が、昼には肉になるという僕には衝撃的な経験。でも周りにいる子供たちは幼い頃から見ているので、当然のように接しているんです。命をいただくというのはこういうことなんだと。とても大事なことだと思います。

もう1つは割礼。10歳位の少年が割礼を受けるのを見ました。竹のナイフで一気にカット。傷口は灰で消毒していましたね。見ている方が痛そうで。

音:JICA任期終了後もまたマレーシアに赴任されたそうですね。

中島さん:帰国後にソニーに入社し、しばらく日本で勤務したのち、シンガポールに行きました。その後マレーシアで11年。5年前に帰国したばかりです。2回目に行ったときは、和食屋さんもたくさん出来て、食の範囲が広がりました。相変わらずロティチャナイはしょっちゅう食べていて。やっぱりマレーシアはごはんがおいしいですね。おかげで、今までの人生約1/3をアジアで過ごしていますが、楽しみました。また近々マレーシアに帰りたいです。ロティチャナイを食べにね。

音の感想:中島さんに「40年前と比べて変化した食文化は?」とお聞きしたら、ファストフード店の増加、と教えてくれました。むかしは人の集まる場所といえば屋台で、ハンバーガーといえば屋台で売っている手作りのラムリーだった。クアラルンプールの高層ビルの数ほどは顕著ではないけれど、食文化や屋台文化もすこしずつ変わってきています。あぁどうか、いつまでも手作りロティチャナイが食べられますように。