Interview 映画『クアラルンプールの夜明け』 細井監督
2013.5.21
左より、細井尊人監督、プロデューサーの高塚りえさん、主演の桧山あきひろさん。2013年5月開催のマレーシア映画祭@渋谷にてワールドプレミアム上映を果たした映画『クアラルンプールの夜明け』は、マレーシアを舞台に日本人監督がオールマレーシア人スタッフで製作した注目の作品。故ヤスミン監督の作品で可憐な姿を見せていた女優シャリファ・アマニさん(リン役)が、娼婦でシングルマザーという役で登場。マレー系である彼女が娼婦役を演じることは、かなり衝撃的。そして、アマニさんと日本人として初めて共演したのは、俳優・桧山さん(辰巳役)。今回のインタビューは細井監督、桧山さん、プロデューサー高塚さんの3人に、この映画への熱い思い、そしてマレーシアの感想をお聞きしました。
音:ロケ地はどこでしょう?
細井監督:クアラルンプール中心地から車でたった30~40分ほどの場所。マレーシアは都心をすこし離れると熱帯雨林が生い茂っています。スタッフは、監督の僕、俳優の桧山さん、プロデューサーの高塚さん、通訳の山田さん以外はすべてマレーシア人。カメラマンも、音声さんも、記録係りもすべてです。15人のスタッフ人で、16日間、マレーシアで撮影しました。
音:なぜマレーシアというロケ地を選んだのですか?
細井監督:3年前、僕が所属していた映像製作会社がつぶれて、すべてのことが飛んでしまった。そのとき、ある人に紹介されてマレーシア映画界で活躍するピートテオさんに出会い、意気投合。彼の友人宅に居候して、マレーシアに3か月間滞在しました。
辰巳が迷い込むジャングル。じつはクアラルンプールからほど近い場所マレーシアの自主映画は、日本よりもずっとすくない予算で製作されています。でも彼らは、自信を持って、堂々と世界に発信している。その姿を見たとき僕は奮い立たされた。日本に帰る前に1本撮ろう、と決意して作ったのが、今回の映画祭で上映される短編『サイレント・ラブ』。舞台はクアラルンプールです。『サイレント・ラブ』は、セリフがない映画で、世界中のどんな人が見ても映像を見れば分かる世界観を表現しました。
音楽や言葉を極力使わない。だから映像に色んな仕掛けを散りばめている
マレーの民家を借りて撮影。リン役のシャリフ・アマニさんとごはんを食べるシーンがよく出てくる映画のなかのシーン。リンは、シングルマザーであり、子供を愛することができなかった
音:『クアラルンプールの夜明け』もセリフがほとんど使われていないですよね。音楽もすくない、いうなれば、世の中の雑音とともにストーリーが進行していく世界観に心が惹かれました。とてもリアルな感じがしたんです。
細井監督:音さん、じつはこの作品、2回目の正直でできたんです。
音:えっ? 2回目とは、撮り直したのですか?
細井監督:そうです。8割完成していた1回目をすべてゼロにして、イチからやり直しました。ストーリーのコンセプトは同じなのですが、1回目は台詞が多くて、辰巳ももっとたくさん話していたんです。でもこれでは日本で撮影するのと同じではないか、単にマレーシアが背景にあるだけで、マレーシアを舞台に撮影している意味がない、と。
高塚さん:2011年12月に1回目の撮影が終わっていて、そのあとに震災があり、間が空いてしまいました。再撮するとなるとお金も2倍かかることになります。本当にどうしようかと3人で悩んで、悩んで。
細井監督: 「監督、撮り直そう」と言ってくれたのは、桧山さんでした。それから脚本をすべて書きかえました。台詞を極力なくし、台詞を映像に翻訳する作業を丁寧に進めました。英語が達者でない辰巳ですから、字幕も彼が理解できる範囲でいい。音楽もできるだけなくしました。音楽で観客の感情を操作したくなかったから。台詞や音楽をそぎおとした分、細かい仕掛けを映像のいろんなところにちりばめています。ストーリーはシンプルですが、これは本当にそうなのか?と疑って見てほしい。観客それぞれに解釈があっていいんです。2、3回と見て下さったら、まったく違うストーリーが見えてくると思います。
音:1度作った世界観をすべて壊すのは、とても勇気のいることです。でもだからこそ、こんなにリアルな映画になったんですね。
桧山さん:僕はずっと役者をやっているので演技は慣れているはずなのに、2回目の撮影の初日、手と足に湿疹が出たんです。医者に行ったら、極度のストレスと診断されました。アマニにも「桧山さん、1回目は楽しそうだったのに、今回は怖い」と言われたぐらい。じぶんでは意識していないのに、今回は絶対に失敗しちゃいけない、という緊張感で、なかなか力が抜けない。撮影3日目、ブロント(アマニさんのボス役)とのケンカのシーンで、監督に「こいつらにくわれてますよ!」と言われてハッと目が覚めた。あの言葉ですこーんと何かが抜けたんです。
食事のシーンはカルチャーを表している
細井尊人監督。シャイな方で、写真撮影が苦手。「こんなところ撮るの~?」の図リンの家でごはんを食べるシーンがよく出てきます。持ち帰り用の発泡スチロールのタッパでごはんを食べていますよね。
細井監督:食事のシーンは、文化の違いが見えるんです。また、普段彼女たちがどのような暮らしをしているのかも食卓から感じとってもらうことができます。
音:マレーシアごはん好きの私が気になったのは、辰巳の朝ごはんにガッツリ系の鶏のモモ肉がのっていたこと。辰巳は肉好きなのかしら(笑)。ごはんのメニューは監督が指定されたのですか?
細井監督:メニューは指定していません。彼女たちのような暮らしをする人々が普段食べている食事を現場スタッフにリクエスト。でも実際は、僕らスタッフが食べていた食事とほぼ同じですね(笑)。スケジュールがタイトな撮影でしたが、マレーシアはごはんがおいしくて、撮影中も朝・昼・晩、そしておやつ2回と、1日5食しっかり食べていましたね。
音:さすがマレーシア!
撮影中のごはん、その1.飲茶。鶏足のやわらか煮込み、焼売、パオ高塚さん:カメラマンのスティーブがおいしいもの好きで、この店のこの料理がおいしい、とよく連れていってくれるんです。監督、ずいぶん太りましたよね(笑)。
細井監督:マレーシアに3ヶ月滞在したときからね。その前と比べると、体重は10キロ増えています。
音:10キロ! マレーシア料理をおいしいと言って下さってうれしいです。ちなみに監督が好きなマレーシア料理は何でしょう?
撮影中のごはん、その2。バクテー。巨大鍋にほっかほか細井監督:バクテーですね。
桧山さん:僕もバクテー好きです。バクテーを作るための漢方セットを買って帰ったぐらい。
細井監督:いや、桧山さんが食べたのは本場のバクテーじゃないんですよ。本場のバクテーはクランという場所で、撮影中に連れていってあげたかったのだけど時間がなくて。食べさせたかったなぁ~。あの本場のバクテーの味は…
~しばし監督のバクテー論が続く~
ニコニコしながらココナッツジュースを差し出すマレーシア人スタッフ桧山さん:ほら、この写真、クレイポットチキンというのかな?これもおいしかった!あとナシゴレンUSA。普通のナシゴレンに肉系の餡かけがのっていてうまい。あとはランプータン、マンゴスチン。マンゴスチンをはじめて食べたときは、こんなにおいしいものがあったんだ、と感動した。生のココナッツジュースも最高。マレーシア人スタッフが集合時間に遅れてきたんだけど、にっこり笑顔でココナッツジュースを差し出してくれたときには、思わずOK(笑)
細井監督:撮影期間なので、万が一お腹を壊したら困るので、できるだけ氷や生ものは食べないようにして欲しかったのですが…。
桧山さん:アイスカチャン、バリバリ食べてました(笑)。
高塚さん:実はこの3人、アルコールが得意でなくて、さらに私は豚アレルギー。マレーシアにぴったりなんです。私は撮影中のごはんの手配を担当していたのですが、ハラル料理、ベジタリアン、肉系と人によって好みがあるので、はじめは色々気を使いました。でも撮影が進んでいくごとに、みんなそれぞれ好きな料理を食べに行くという文化を心地よく思うようになりました。みんなに合わせる必要は無くて、それぞれが好きなものを食べればいいんですよね。そうそう! ごはんと言えば、大失敗がひとつ。撮影の時間が長引いて夜中の1時ごろに夕飯の買い出しに行ったのです。みんなお腹ぺこぺこで何か食べたい。でもその時間になるとガソリンスタンドの売店しか空いていなくて、ポテトチップらしきものを買って現場に戻り、みんなで食べてみたらマズイっ!雑食系の監督でさえ「こんなマズイもの、一生で初めてだ!」と言うほどまずかった。実はそれ、揚げる前のエビセンだったんです(笑)。揚げないと食べられないものなので、おいしいはずがありません。
音:私が一緒にいたら教えてあげれたのに~(笑)。
台詞がない。それは存在感ですべてを語る、ということ
映画のなかのシーン。辰巳がマレーシアという国で、魂を開放していく音:桧山さん、撮影はいかがでしたか?
桧山さん:僕は舞台役者でもあったので、映像に必要な“間”に慣れていませんでした。舞台役者というものは“間”を埋めることを常に求められるんです。それは言葉だったり、動きだったりする。でも今回の作品はそれを求められない。台詞がすくなく、動きを極度におさえて、むしろ“間”で語るんです。つまり存在そのもので勝負しなければいけなかった。完成した映画を見て感じたのは、今まで見たことのない僕がいる、ということでした。
細井監督:じつはマレーシアン・ニューウェーブ(マレーシア映画界の新潮流)では、素人を主人公にして撮影する映画が多いのです。なぜなら自然だから。でも僕は、それをプロの役者を使ってやりたかった。だからこの作品は、マレーシアの流れを受け継いだジャパン・ニューウェーブなのです。
アマニさんの女優魂。彼女の爆発力ある演技に惹かれた。
音:アマニさんは日本人と初共演。それも娼婦役という今までのイメージとがらりと違う作品。アマニさんはよく出演にOKをされましたね。
細井監督:僕が彼女に求めたのは、あの爆発力、エネルギーのある演技力。その必要性を彼女は理解してくれたと思うし、彼女自身も女優としてひと皮むけたと思う。よりリアルな演技を追求したので、彼女には実際の娼婦の方に会ってもらいました。そのときの彼女はとてもおびえていて、カバンをかたときもは手から離さなかったですね。
音:モスクのなかのシーンがあったのにも驚きました。交渉は大変でしたか?
映画のなかのシーン。モスクにたどり着いた辰巳ー細井さん:モスクで撮影をした外国人はおそらく僕らが初めてです。たまたま宿泊していた部屋のオーナーがモスクの人と知り合いで、その縁をつないでOKをいただきました。このような幸運がなければ、絶対に実現できなかった撮影でした。それにしても驚くのは、マレーシア人の交渉力です。事前調整はいっさいなく、その場で次々に交渉するのです。たとえばリンの息子であるヨーの男の子のキャスティングは撮影が始まる3日前に決定。また、ロケを見ていた一般のお客さんに「これからあなたの家で撮影してもいい?」と交渉したことも。そしてたいていの場、即OK。日本では考えられないことです。
高塚さん:最後に灯篭流しのシーンがあるでしょう。あの灯篭作りも撮影日の朝から調整するのです。こちらとしては事前に準備をしていないのでやきもきするのですが、当日の朝から交渉して、ちゃんと撮影に間に合わせる。いやいや、びっくりしました。
映画のなかのシーン。ヨーが、祈りをささげたものとは桧山さん:僕がマレーシアでの撮影現場で驚いたのは、役者とスタッフが近いことです。食事の時は、役者もスタッフもみんなで集まってそのへんにしゃがんでお弁当を食べたりする。日本では役者とスタッフの間には距離があって、なかなかあのようにはなりません。大女優のアマニでさえも付き人なし、専属のメイクさんもいない。映画を作る人間どうしに垣根がないんです。
音:映画界もマレーシアはやっぱりマレーシアなんですね。細井監督、今後の夢を教えて下さい。
細井監督:今回の渋谷で開催されるマレーシア映画祭で上映される「クアラルンプールの夜明け」は、これが世界で初めての上映になります。ひとりでも多くの人に作品を見てもらいたい。そして次はマレーシアでの上映が目標。今後は映画館はもちろん、レストランなどでも自主上映を重ねていきたいです。
音の感想:この映画は、マレーシアでなければ成立しなかったと思います。それぐらい、マレーシアの匂いが感じられるんです。日本人の細井監督が、日本人として見つめたマレーシア。もしかしたら、マレーシアという異国には、世界につながる糸口があるのかもしれません。いやもしかしたら、マレーシアだけではなく、異国には、母国では決して手に入らない大切な何かがひょっこり目の前に現れたりするのかもしれない。私がマレーシアという異国を通して伝えたいのも同じことなんだ、と、おこがましいかもしれませんが、インタビューを終えてそう感じています。世界につながる糸口、あなただけの真実を探しに、マレーシアへ。